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少しほっとするコラム

ページID : 1826

更新日:2024年02月29日

 皆さん、最近、「ほっ」とする時間はありますか。

 仕事、人間関係、家庭、育児等頑張り過ぎていませんか。

 厚生労働省の統計によると自殺者数は令和2年7月以降増加傾向にあるとのことです。

 何かに悩んでいる方、誰にも相談出来ずにいる方、頑張り過ぎている方などなど全ての方に読んでいただいて、こころが少しでも楽になっていただくために「少しほっとするコラム」を掲載いたします。

 これは木更津市自殺対策協議会(令和5年4月1日設置)の会長をお引受けいただいています古田 恭司弁護士(かずさ総合法律事務所)が日頃の弁護士業務を行う中で感じたこと、思ったことをもとに作成したものです。

 ぜひ、ご一読ください。

 また、下記にそれぞれの悩みに応じた相談窓口一覧を掲載していますので、併せてご覧ください。

コラム1 弱いことは悪いこと?

 相手のことを理解することは、争いを避け、不満を生じさせず、幸せに生きるために大事なことだと感じます。ここでの「理解」とは、相手の考えに共感し受入れることを含んでいます。

 同じような経験のない人は、なかなか他者の理解が難しいようです。これは日々紛争の調整に当たり感じることです。

 もしあなたが今、苦しい思いや辛い思いを抱えていれば、同じ辛さを抱える人に真に共感し、助けることができます。それはきっと他者の理解を通じたあなた自身の幸せや強みになるのではないでしょうか。

 ひとは皆弱いです。自分の弱さを憂うのではなく、誇ってみませんか。

コラム2 心もかぜをひくみたい

 自殺に至るにはそれぞれ様々な原因(病気、人間関係、孤独など)や要素(気質、年齢、性別など)がありますが、多くの場合に共通するのがうつ病又はこれに似た症状が認められるということのようです。

 うつ病は「心のかぜ」とも表現されています。その理由は、いつでも誰でも罹る可能性があるから、とのこと。かぜには、「予防」「初期症状の感知」「薬の服用と休養」が大切だというのは皆さん承知だと思います。心のかぜも同じように、無理をしないこと(予防)、辛さや心の悲鳴に気付くこと(感知)、専門機関や相談機関での受診、で早めの対処が肝心なようです。心も体も無理は禁物で、メンテナンスをして長持ちさせていくことが大切です。なお、一度かぜをひくと完全な回復までには時間がかかってしまうのも同じみたいですから、やはり早めの対処が必要そうですね。

 心の不調を感じたら、まずは色々と用意されている相談窓口へ気軽に相談してみることをお勧めします。かぜをひくのは当たり前のことです。ためらいを感じる必要はありません。支援する側はお待ちしていますよ。

コラム3 自殺の原因である経済苦について

 かつては過酷な取り立てなどに追い込まれて命を絶つという事件が数多く聞かれました。今でも借金など経済苦は自殺原因の相当数を占めています。

 ここで伝えたいのは、借金問題などで命を絶たないでほしいということです。なぜかといえば、必ず何とかなるから。

 借金ということであれば破産手続があります。否定的なイメージでとらえられることが多いですが、「経済的な更生を図るため」に用意された制度ですし、実際上の問題なども驚くほど少ないです。また、様々な理由からこの方法によることができなくとも、いわば「なければとられるものなし」ですから、過剰な心配は無用なのです。なお、様々の法規制により一時のような取り立ては禁止されていますし、闇金のようなものは警察や専門家へ相談すれば対応可能です。

 また、生活の面でいえば、「健康で文化的な生活」は憲法で保障されていますので、行政の支援が受けられます。

 適切な情報が届かず、または、辛い状況で適切な相談先へつながらずに、自殺を選択してしまう方もいらっしゃるものと思われます。

 どうか「お金の問題は必ず解決する問題」であることを覚えていただき、これを知ることが必要な誰かにも伝えて頂きたいと願います。

コラム4 考えるを止めることのすすめ

 辛いと感じてしているとき、そのことだけしか考えられないことはよくあります。

 特徴的なのは、ずっとこうなのではないか、改善しないのではないか、など悪い方向への思いを強くしていき、さらに自分で自分を追い込んでしまうことです。思考の負のスパイラルへ吸い込まれていってしまいそうなときは注意が必要。

 そんな風に思ったら、気分転換を図り心配事や悩み事から目をそらしてみましょう。何も面倒な方法をとる必要はなく、場所と時間を変えるだけでいいのです。

 お風呂の中や気持ちのいい時間帯の少しの散歩、出来れば夕日や朝焼け、月や星がきれいな時間帯がいいですね。

 そこで、目をつむって大きく呼吸を整えてください。あれやこれやと時間・空間を右往左往した思考を「今」に集中させて、余計なことは排除してください。今この場所以外にあなたはいないのです。今この場所以外の存在はありません。過去や未来の苦しさや辛さもありません。

 こうしてみると、少し気持ちが楽になるはずです。そして、また辛くなったら同じように気持ちを楽にする方法をとればいいし、とれるのです。

 あなたをあなた自身から解放してあげる方法を色々と探してみてください。

 大変なときは「そんな悠長なことを」と感じるかもしれませんが、大変なときこそ必要であり、効き目があるはずですので。

コラム5 「とりあえず」「どこでもいいから」「なんでもいいから」「どんな方法でもいいから」

 何かに苦しんで「死」という選択肢がよぎったら、とりあえず、どこの相談窓口でもいいから、連絡をしてください。相談先はこのサイトに載っています。

 自殺原因は、病気、孤独、老齢、生活苦、借金、仕事、恋愛、離別、学業、いじめなど様々です。悩みはそれぞれですが、「死」が頭に浮かんでくるのは、赤信号に近い黄色信号です。

 「そんなこと」とか、「みんな悩んでいるから」とか思わないで。もう一人では抱えきれない状態であるということに気付いて、助けを求めてください。

 そういえば、私の分野である借金や労働問題など法的な問題については行政や施設などへの相談をきっかけにいらっしゃる方もいますし、大変深刻な生活上の問題などを抱える私の依頼者の支援を行政にお願いすることもあります。

 とにかく、どこかの相談先に連絡してしまえば、適切なところへ引き継いでもらえるし、何とかなるようです。

 自殺予防支援などを扱っている方々には温かい人が多いような気がします。死んでしまいたいほど苦しいことを告げてもらっても、大丈夫ですよ。

コラム6 少しほっとするとき

 「少しほっとするコラム」ですので、どういう場合か考えてみました。

 人に気に留めてもらったとき、人とつながりを持てたとき、ほっとしますね。見知らぬ世界や集団、人々と関わったとき、例えば入学や就職の際、当初不安だったことや徐々に人の輪に加わり安堵を覚えたこともあるのではないでしょうか。

 他方において、人は孤立にとても弱いそうです。孤立は精神的な不調の要因にも、生活上の問題を引き起こす原因にもなるようです。

 悩ましいのは、孤立している側が表面的には支援を拒むような態度を示す場合ですね。それ自体の原因は諸々あるとは思うのですが、深層ではやはり孤立や不安から解放されたいと思っている方の方が多いように思います。

 家族や周囲など支援する側としてはこのようなことを意識して、もう一歩前に、多様なアプローチで、辛抱強く関わっていくことが必要な場合もあるようです。

 孤立から解放されること、つながりを感じることは「ほっと」の実感につながるはずです。「ほっと」の輪が広がればいいなと思います。

コラム7 少しほっとするとき2

 前回に引き続き「ホッとするとき」シリーズです。

 深い悩みに苛まれている人達がいます。その人達と関わってきて、笑顔を見せてもらったとき、悩みを軽減し又は解き放たれたような状態になったとき、ほっとしますね。

 悩みは人それぞれですし、それが病的なものであれば医療について門外漢の私達はもしかしたら適切な対応を出来てないのかもしれません。

 でもひとつだけ、深く混迷している方、酷く怒りを帯びている方への適切な対応を経験的に知っています。

 それは、よく話を聞き(傾聴)、受入れること(受容)です。絶対に否定はしません。

 ときには理不尽、偏狭極まりないと思うこともありますがそれは話の内容に過ぎず、まずはそのような意見に耳を傾け同調することが大切ですね。そのような偏った意見を持つこと自体が彼、彼女の苦しみの表れであり、まずは一緒にそれを軽減しようとする姿勢を示すことが大切です。できれば小さな声で反復しながら聞きましょう。

 ともすれば怒りの矛先でもあった私達に、笑顔さえ見せてくれることもあります。

 暗い顔や怒りに満ちたいがいがしい顔から色彩を帯びた笑顔が出た瞬間、お互いにほっとします。もちろん悩みの根源の部分から対処していく必要があるのでしょうが、「悩みは聞いてもらったら半分解消している」というように、聞く(聞き入れる)ことの凄さを実感しています。

コラム8 ほどほどの支援を

 自殺対策の支援者やご家族と関わらせていただくことがありますが、本当に大変だと思います(こんな陳腐な表現しか出ないほど)。

 無理をなさらないでください。自身のお体もご自愛ください。

 自殺という一過的でありつつも、再燃防止のための長期的な対処を余儀なくされる支援側の苦労は相当です。

 長期的なほどほどの支援という目標設定があり得ることも、忘れないでください。

 共倒れしないように、ほどほどにです。

コラム9 こだわりもほどほどに、心のゆとりをもつこと

 仕事上たくさんの初対面の方の悩み事を聞いていて、やはりトラブルを抱える方の性格には神経質という類型も多いように思います。

 もちろん何らかの病気であったり、体験に由来する場合もあるのでしょうが、元来の生活歴や性格を聞いていると、繊細というか曖昧が嫌いというか、「くそ真面目」と表現されてしまう方もいらっしゃるようです。考え方も一刀両断的というか、「仕事で失敗したら、人生の終わり」「私が正しいから彼が間違い」と短絡的な思考に触れることも多いように感じます。

 もし自身がそのような気質を持っていると認識しているなら、大らかさや鷹揚に構える姿勢が必要でしょう。信頼できる誰かに、「私の考えはどうかしら」と確かめてみると、気付くことがあるかもしれません。

 自分の考え方や心の持ち方に膨らみやゆとりがあれば他人との付き合い方にも余裕が生まれます。

 心にゆとりを持って「ほっと」の輪をつなげませんか。

コラム10 自殺対策基本法という法律

 一応法律に触れる回も必要かと考えて書きます。

 国内における自殺者の増加を踏まえて、自殺対策基本法というものが平成18年に制定されています。

 その基本理念としては、「自殺が個人的な問題としてのみとらえられるべきものではなく、その背景に様々な社会的な要因があることを踏まえ、社会的な取組として実施されなければならない」「自殺が多様かつ複合的な原因及び背景を有するものであることを踏まえ」ること、「国、地方公共団体、医療機関、事業主、学校、自殺対策に係る活動を行う民間の団体その他の関係者は~相互に連携を図りながら協力する」などとされています。

 そもそも自殺を巡ってはその是非や自殺決定権の尊重の要否など様々な議論があるなかで、個人的問題から社会的問題に昇華させ社会として防止対策に取り組むことを明言した画期的な内容となっています。そして、自殺対策にあたっては、国や民間、事業体の大小を問わず、関連する全ての者への責務とされています。

 残念なことに現在でも自殺は一個人の問題として捉えられることが多いように思います。

 しかし、少なくとも法的なレベルでは社会問題としてその背景、経緯、因果や結果まで共有し連携していくことが求められているのです。

 昨今のSDGsにも代表されるように、社会の意識も大きく変容を求められている時代です。

 自殺を考えている方、自殺未遂を経験された方、自殺で大切な人を亡くされた方、助けを求める声をあげてください。社会はこれを擁護する時代です。

コラム11 依存症の方への投げかけ方について

 アルコール依存症、覚せい剤依存症、様々な依存症の方及びその親族や支援者とも接点を持たせていただくことがあります。私が関わりを持つ段階というのは、事件として立件され逮捕された、経済的破綻など、社会生活上の大きな問題に発展してしまっていることがほとんどです。相当悪化しているのに放置されてきたケースや、身心の病気を伴うケースも散見され、依存症の恐ろしさを実感します。

 異質ですが、人に対する依存症が見受けられるケースもあり、例えばDVを受けながら長期間を過ごしてきたような方もいます。

 しかし、適切な治療などにより、依存症を克服した方も数多く見てきました。もしかしたら完治ということはないのかもしれませんが、見た目には普通の生活を営んでいます。専門的なことは分かりませんが、依存症の方にはそのようなことを伝えて、「きっとあなたも大丈夫だから」となげかけると、すんなりと理解してもらえることが多いように思います。

 まずは信じる力を支えてあげることが大事なのかなとか思っています。

コラム12 気持ちのリセット

 気持ちをリセットしたいと思っても、何かきっかけがないと難しいですよね。

 年変わりという節目で、いつもと違うことをしたり、普段会えない人と会ったりして、日常生活から距離を置くことは大事なことだと思っています。

 過去も、他人も変えられませんから、自らの気持ちをリセットしたうえ自分の気持ちを変えて、未来がよくなると信じて新しい年の生活をおくりたいものです。

コラム13 若者の生きづらさについて

 コロナ禍で若者の自殺が増えたという報道に触れることが度々ありました。その原因や動機も明らかではないことが多いようです。学生の不登校も増えているそうですが、これも同様にはっきりとはその原因が明らかではないそうです。

 これらの原因分析として「生きづらさ」という言葉を耳にします。特に若者達が駆使するスマホによって、SNSなどのオンライン上の交流など顔の見えない関係や匿名空間の拡大、又は、そういったオンラインコミュニティーとの常時接続による脅迫性など、大人には見えない部分が関係しているのかもしれません(ちなみに筆者は昭和50年代生)

 ただ若年の頃は、今思えば些細なことに強く心打たれたり、泣いたり、夕日に向かって駈け出したりした思い出はありますよね(そんなことないですか。)

 正しい原因分析も大事ですが、繊細な若者に対し「よく声をかけて気にしてあげる」「よく聞いてあげる」という当たり前のことが大切であり、そういった大人が増えることが生きづらさのない社会を作っていくのではないかなと思っています。

コラム14 相手の理解に努めること

 もうすぐ私が担当するコラムも終わりです。言いたいことはたくさんあるのですが、毎回長くなりがちなので端的に短く心がけて。

支援を受ける側と提供する側の溝というか捉え方の違いというか、はたから見ていると大変だなと思うことがあります。受ける方はそれを消費者的な感覚でとらえ、比較対照なども持ち出して要求は厳しくなり、提供側は支援者との対等ではなく「してあげている」というような感覚になる。

お互いがこういう気持ちでは上手くいきませんよね。でも、双方の立場からとらえるとその気持ちもまたよく分かる。これがポイントなのかな。

相手方の立場に立ち、思っていることや考えていることを理解しようとする。そうすると自ずと謙虚になりお互いに労りや感謝の気持ちを持つことが出来るのではないでしょうか。

どうせなら、お互いを尊重し気持ち良く接したいですね。

コラム15 自殺と自殺防止について考えたこと(自殺防止対策に携わる方へ敬意をこめて)

 自殺は自己決定権の行使であり生きることの放棄をする自由もあるのではないか、このような論争は古くからあるので深入りはせずに思ったことを書きます。

 確かに、「死にたい」と言われたとき「死ぬべきではない」と答えるものの、その辛さから解放される手段としての自死を否定すべき明確な理屈は浮かばないように思います。

 でもやっぱり、精神的に極まった状態で自殺という手段を選択することが間違っていることは感覚的に確信できるかなとも思います。例えば、人が幸福感で充足されているとき自殺をするという選択肢は通常想定されません。このように考えると選択環境の問題なのかもしれません。

 また、自殺は残された家族などにも大きな傷跡を残しますから、この点でも問題のある行為なのかもしれません。

 以前の稿で、「離脱の自由」を少し書きましたが、自殺はやはり異質なもののように思いますし、自殺以外での離脱手段がある以上、自殺はやはり避けられるべきなのではないでしょうか。

 いずれにせよ、自殺防止の必要が社会のコンセンサスとして成立した現在では、理由の如何を問わずして、自殺防止が有益であること、またそのために自殺念慮を持つ方へ様々な手が差し伸べられることが求められています。

 そして、私個人として、こういう社会は間違っていないと確信を持ち、自殺防止に携わる方々へ敬意を表して今回の一連のコラムの締め括りとします。

 お読みいただきありがとうございました。

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